自己紹介

はじめまして、しばたけ(@bambooooooo0116)です。

日本&ベトナムの二拠点で活動するWeb系フリーランス(6年目)。
フリータウン』という屋号で、国内外Webデザインのトレンドを押さえつつ、日本人特有の「空気感」「雰囲気」を大切にしたホームページ制作をしています。

これまでの経歴

アコギを持って日本縦断

24歳で大学卒業後、アコースティックギターを持って日本縦断の旅へ。

地元の愛知県からフェリーで仙台→苫小牧と北上。さらにバスで紋別まで。そこからバス乗り継いだりヒッチハイクしながら南下を開始しました。

駅で弾き語りしたり知り合った人の家に泊めてもらったり、山の中で迷ってお坊さんに助けてもらったり野宿中に心霊体験したり。いまだに思い出のたくさん残っている旅でした。

しかし広島でお金がなくなり、声が枯れて歌えなくなった為あえなく断念。
ヒッチハイクで地元まで帰還。

ワーホリでカナダのカルガリーへ

東京で肉体労働メインでお金を貯め、ワーキングホリデーでカナダへ。

はじめの1ヶ月はトロントにいたが馴染めず、バスで1日以上かけてカルガリーへ。

しばらく住んだら他の街へ行くつもりでしたが、居心地よくて結局ビザ切れるまでカルガリーにいました。カナダへワーホリ考えている人はカルガリーおすすめです。知らんけど。

多分人生で一番将来について考えず、「今」を楽しんだ時期だったと思います。

何人かの現地大学生に英語を教えてもらっていたのですが、そのうちの一人と付き合うことになり、でも知り合いの韓国人の女の子も気になるという海外ドラマ顔負けの節操のないライフをエンジョイしてました。(←せっかくなので習った英語を披露)

ちょっと調べてみたら、僕が乗ったバスのトロント→カルガリーが運行廃止になったそうです。さみしい…

世界最貧国、西アフリカのシエラレオネへ

カナダ滞在中にビザ取ったりワクチン打ちまくったりして準備を進め、世界最貧国のひとつ、西アフリカのシエラレオネへ。

電気・水道・ガスの使えない生活(電気はたまに来る)で、頭につけるタイプの懐中電灯つけて雨水で身体を洗ったりしてました。

シエラレオネでは小学校の校庭を整備する作業を手伝ったり、給食用の作物の畑を作ったり、近所の子どもたちとビーチサッカーして過ごしました。

ちょっと危ない目に遭ったりしたけど、おおむね楽しい滞在でした。
小学校がどうなってるのか気になるので、またいつか行きたいです。

職を転々としたサラリーマン時代

帰国後は東京でサラリーマンを始めました。

不動産会社、映像制作会社、倉庫作業員など職を転々とし、「これじゃない」と思いながら過ごしていた時期です。

この頃には独立したいと思うようになっていたのですが、自分の無知やスキル不足は自覚していて、そのあたりの不安な気持ちと「やりたい」という気持ちがせめぎ合っていました。

月収は12万~25万くらいで、それで都内でよく暮らしていたなと思います。

火花のように散った一度目の独立

「やってみなけりゃ分からない」と、勢いで個人事業主として開業しました。

今と同じWeb制作でやっていこうと思っていましたが、なにせ圧倒的な金なし・コネなし・スキルなし状態です。今思えば無謀もいいところでしたね。

また仕事の獲り方も分からず、都内の飲食店や会社に飛び込み営業するもほとんど相手にされない始末でした。

当時はまだクラウドソーシングサイトがあまりなく、たしか@SOHOとかで「ボ、ボクにもできるかなぁ…」とか思いながらビクビク応募していたのを覚えています。

たいしてなかった貯金は一瞬で底をつき、ものの半年足らずで東京の部屋を引き払い地元に逃げ帰りました。

ドン底の期間工時代

とにかくお金がなかったので、実家に寄生しつつ自動車工場の期間工として働き始めました。

この時期にやっと自分の穴ぼこのスキルを何とかしようと思い立ち、Webデザインのオンラインスクールを受講しました。

正直習ったことだけで仕事ができるようになるかは微妙でしたが、制作の全体の流れをつかめたことは大きかったと思います。

ただ、それだけでは不十分と感じたので、並行してプログラミングの勉強もしていました。

オンラインスクールの講座で質問できるのですが、ある日僕が質問したら講師が「それは教える内容の範囲を超えています」という謎の回答をしてきて、「ふざけんな」と思うと同時に「この方向で頑張れば学校で教える以上のスキルが身に付くんだ」と確信した覚えがあります。

毎日3~4時間睡眠でいつも身体がしんどかったですが、とにかく必死で工場⇔勉強の生活を送っていました。

ちなみに自動車工場の検査ラインで働いていたのですが、塗装の上がったボデー(なんかボディーのことを「ボデー」と呼ぶ)はホカホカなので、冬場はあったかくて眠気がすごいです。

フリーランスとして活動開始

結局、期間工は半年間続け、期間満了とともにそのまま地元でフリーランスになりました。

引き続き実家に居候しつつ、名古屋が近いこともあって名古屋の制作会社を中心に下請けの仕事をもらい始めます。

勉強した甲斐があったのか、何件かの取引先にお世話になりながら、順調に仕事が増えていきました。

またこの時期、ちょうどWordPressが流行ってきた頃で、仕事以外でもWordPressをいろいろいじっていたのを仕事に活かせたのも大きかったと思います。

で、徐々に名古屋以外にも営業をかけるようになり、なぜか関西圏の取引先が増えたため、関西に興味を持ち始めました。

拠点を神戸へ

ちょうどそのタイミングで、サラリーマン時代に東京で仲よくしてくれてた友人(大阪出身のフォトグラファー)に誘われ神戸に遊びに行くことに。

そこで街の美しさとか人柄のよさとか、おしゃれと下町感のちょうどよさとか、そういう神戸の魅力にハマって拠点を神戸に移すことに決めました。

まぁ普通に「神戸に引っ越し」と言えばいいんですが、「拠点を移す」の方がカッコいいのでそう言い続けています。

基本的に制作会社さんにお世話になりながら仕事していたんですが、あるきっかけで営業マンと仲よくなり、その人とチームみたいな感じで直請け(=クライアントから直接依頼を受ける)案件もやるようになりました。

下請け・直請け関係なく、やれること・ちょっと頑張ればやれそうなことは何でも引き受け、働きまくりました。

その結果、気が付けば月商100万円を超える月がチラホラ出はじめ、「あ、なんかやれてる」と思いながら制作に没頭していました。

またこの頃、ちょっとお金に余裕ができてきたこともあり技術書やビジネス書を多読する習慣ができました。

今でも多い月で20冊以上、少なくとも10冊くらいは毎月読んでると思います。

フリーランスの組織化を考えるように

チームを組んでた営業マンはすごくいい奴だったのですが、ある時期から社会人サークルみたいのに熱を入れ始めた彼と、引き続きWeb制作で頑張りたい僕との間で食い違うようになり、残念ながら解散しました。

今何やってるか知りませんが、元気なら「1000パーセント!!」「仲間!仲間!!」とか言いながら人気者やってるんじゃないかと思います。根はいい奴なので楽しくやっていてほしい。

で、最初のチームは失敗に終わりましたが、「フリーランスがチームで働く」ということに可能性を感じた僕は、その方向で模索を始めました。

営業マンがなかなか定着せず苦労しましたが、何とか回せる体制が整い、あるとき月商300万円を達成しました。

サラリーマン時代に『アントレ』という雑誌を読んで、「個人事業は月商300万いけば成功」という言葉が頭にこびりついていたので、このときは本気で嬉しかったです。

日本・ベトナムの二拠点生活

数年間休みなく働いていたので、少しだけ羽を伸ばそうということでベトナムへ一人旅に行きました。

そこで今の奥さんと出会い、奥さんと会いたくて日本とベトナムの二拠点生活を始めることになります。

ビザとかの関係で、だいたい3ヶ月ごとに日本→ベトナム→日本→ベトナムを繰り返す感じでした。

で、そのまま結婚してすぐに妊娠が分かりました。

妊娠中はトラブル続きで、子どものお腹に異常があるとか言われたり、奥さんが妊娠糖尿病になりかけたり、夜中に出血して病院へ急いだりとまったく油断のできませんでした。

それまでブンタウという街に住んでいたのですが、病院へすぐ駆け込めるようにホーチミンに引っ越しました。

気持ちに余裕のない生活を送る中、出産予定日から1ヶ月半も早く息子が誕生しました。

2150gの未熟児で、医者に言われていた通り、腸に疾患がありました。

そのため、息子は生後2週間のうちに2度の開腹手術を受け、何度も生死の境をさまよいました。

ワークライフバランスを考えるように

いつ何が起きるか分からないこともあって、家にも帰れない状況になりました。

そのため、病院周辺のカフェで仕事をするようになり、はからずもノマドデビューを果たしました。

精神的にも肉体的にもギリギリでしたが、チームの人たちや取引先の方にフォローして頂き、何とか仕事はしていました。

奥さんと義母は病院で息子に付きっ切りで、特に奥さんにはつらい時間を過ごさせてしまいました。

結局、息子の入院生活は4か月続き、その年の年末には退院して家に帰ってこれました。

このことがきっかけで、「ワークライフバランス」というのを意識するようになります。

今のままの働き方では、いつまでも労働集約型のビジネスから脱け出せません。

そのため、労働が資産として積み上がる、ブログやアフィリエイトなどのネットビジネスに興味を持ち始めます。

ブログを本格的にはじめる

実は、それ以前にこのブログは開設していました。

でも内容は、仕事で書いたコードのメモとかそんな感じでしたし、月間PVも6000に満たないような状態でした。

そんなときに『人気ブログの作り方』という本を読んで「こういうブログのやり方って面白そうだな」と思うようになり、なぜか僕はこのブログではなく新しくブログを立ち上げてそちらを育て始めました。

で、アフィリエイト系の情報商材とかTwitterで発信しているアフィリエイター・ブロガーさんたちのつぶやきを参考にしながら、4か月で月間15万PVを達成することができました。

実際に自分で手を動かしたことでブログの可能性を実感することができましたし、自分が提供しているWeb制作の方へもフィードバックできるものが多々あり、収穫は大きかったです。

2018年12月現在、このブログの月間PVは1万ちょっと。

ちょうど最近「個人でSEOを攻めるのは厳しい」と言われ始めました。
僕は、むしろそんな今こそチャンスだと思っています。

理由はまたブログに書きたいと思いますが、「個人ブログをはじめるなら今しかない!」ということで、本格的にこのブログを運営しはじめました。

性格について

興味があるとトコトン掘り下げるし、興味がないと見向きもしません。

そのため、昔は対人関係でも「合わないな」と思うとまったく関心がなくなったりしていました。

そのおかげで対人関係で悩むこともあまりなかったのですが、その反面、人間関係が広がらないことが悩みでした。

それでも今の仕事をはじめて、嫌でも人と会う機会が多くなってくるにつれ、少しずつ改善されていきました。

またいろんな人と会って、深く話していく経験を重ねるうちに「どんな人でもストーリーを持っていて、そのどれもが下手な映画を観るより何倍も価値がある」ということを知りました。

他人と関われば、どうしたって摩擦や誤解が生まれます。

でもそれを避けようとすれば、自分の殻に閉じこもって、どんどん世界を狭くしてしまうことになる。

正直、オタク気質のある僕にとって、人間関係はいくつになっても人生の課題です。

でも、人生のほとんどは人間関係で決まるとも思っています。

ということで、基本的にはどんどん人と関わっていこうと思っています。

下記は、僕がお世話になっている人が教えてくれた「人生を楽しむためのコツ」です。

人間関係で尻込みしてしまうとき、僕はこの言葉を思い出すようにしています。

人生を楽しむためには、楽(らく)しちゃいけない。

他人と深く関わらなければ楽だろうけど、人生を本当に楽しむためには、勇気を出して相手の懐に飛び込む必要がある。

作ったもの

ポートフォリオ

2年ほどエンジニア的働き方をしていたこともあり、デザインから遠ざかっていました。

そのため、リハビリも兼ねてデザイン制作&インスタグラムで公開、みたいなことをしています。

自分でテーマを決めて制作するのはスキルアップにもつながるし、単純に楽しいです。

デザイナーさんやイラストレーターさんでここを見ている人がいれば、是非やってみてほしいです。

個人ビジネス向けWordPressテーマ『HIGHLAND』

個人事業主やフリーランなど、個人または少数精鋭でビジネスをやっている人向けに制作したWordPressテーマです。

個人がブログでアドセンスやアフィリエイトしたり、自社商品を販売するための機能を詰め込んでみました。

レスポンシブ、SEO対策済み。GPLライセンス準拠、商用・非商用問わず無料で利用できます。

現在と今後について

結婚するつもりもなく、もちろん子どもがほしいと思ったこともなかったのですが、息子が生まれたことで人生の軸がグイグイっとずらされました。

世のお父さんはみんなそうだと思いますが、いつも自分のことより息子のことを考えている自分がいます。

失敗の多い人生だったので、正直「あそこでこうしておけば…」「もしあのときに戻れたら…」なんて考えるのも一度や二度ではありませんでした。

でも息子が生まれてから、息子が生まれる前に戻りたいと考えることが一切なくなりました。

他の人より時間はかかりましたが、息子に出会えたことで「これまでの人生は間違いじゃなかった」と思えるようになりました。

また、息子に出会わせてくれた奥さんに、本当に感謝しています。

僕の予想ですが、息子が大人になるまでの時間って、僕が思っているよりずっと少ないはずです。

だから、これからもさらに仕事を発展させていきつつ、家族との時間も大切にしていきたいです。

僕がそうだったように、息子が人生に悩んだとき、必要な言葉をかけてあげられる親父でいたいと、そう考えているこの頃です。

最後は仕事の話じゃなくなってしまいましたが、息子が毎日幸せでいられるように、そして僕にかかわる人たちみんなが幸せでいられるように、僕にできることをやっていきます。

なので、仕事ください